踊りませんか。

きれいなもの至上主義

美容垢巡りをしていた話

東宝公演の初日が近い。

 

贔屓がわたしの住む東京で公演を行う1ヶ月間、わたしは日頃ぐうすか眠っている美意識を叩き起こし美容に邁進する日々を送る。

それは偏に贔屓の視界に自分の姿が入る可能性がいつもより大幅にアップするからだ。

まずはお茶会、そして入り待ち・出待ち。

客席降りでもあろうものなら死に物狂いで通路席を確保するし、なんならそのへんの道ですれ違う可能性さえある。

贔屓と同じ街に暮らすというのはこんなにも心躍り、かつ気の抜けないものなのかと毎回嬉しいやら疲れるやら、そしてムラに住んでいる人に尊敬の念を送りながら約1ヶ月を走り抜けるのだ。

贔屓の視界に納得行かない容姿で入りたくない、あの美しい瞳にクオリティの低い自分を映したくないーー

完全に自己満足なのは分かりきっているしこれを他の人に強要する気は全くないが、初日が近づくにつれてその気持ちは高まり、なけなしの美容意識を奮い立たせる結果となるのだった。

 

美と健康を意識したとき、最も重要なのはモチベーションのコントロールだとわたしは考えている。

美も健康も、実現までの道のりは面倒くさいことばっかりだ。

スチーマーの水を汲むのが面倒くさい、マスカラと目元と頬っぺたに別のクレンジングを使うのが面倒くさい、ストレッチも筋トレもぜ〜んぶ面倒くさい。

その面倒くささを乗り越えるには「きれいになりたい」というモチベーションが絶対に必要で、日頃はその役割を「贔屓の視界に最高の自分で映りたい」という気持ちが果たしているのだけれども、わたしは堕落した人間なので時折それだけではどうにもこうにも上がらないときがある。

「まあ明日2階席だしな……出待ちもしないしそうそう道で出くわすこともないだろ」

だいたいこういうときに限ってひょんなことから1階席通路側に座ることになったりするのだ。

き、昨日色々サボったし朝もだいぶ省エネしたからコンディション良くないのに!贔屓が!そこに!!うわあこっち見ないで、今あなたの美しい網膜に映ることができるクオリティのビジュアルしてないの!

そんなこんなを避けるためのモチベーションコントロール

それに最適な手段としてわたしが選んだのは、TwitterInstagramの美容垢巡りだった。

 

美容垢、美を価値基準の第一に置くひとたちがときに喜びを、ときに嘆きを、そしてときに決意を表明するためのアカウント。

脇目もふらず美容に命をかける彼女たちの努力と根性は賞賛に値すると思う。

日々サラダチキンと炭酸水とデトックススープだけでお腹を満たし、明日のふくらはぎを数ミリ細くするために何百回もの脚パカに挑むその姿はアスリートか修験者かといった佇まいだ。

もちろんユルいひともたくさんいるが、いずれにせよかわいくなりたい・きれいになりたいという気持ちであれこれ努力している様子はそれだけでかわいいし、見事にこちらのモチベーションも喚起される。

はあわたしも頑張らなきゃな……眠いとか疲れたとか言ってる場合じゃない、そう思わせてくれる美容垢巡りが一時期やめられず、延々あっちこっちに飛んではその努力を眺めていた。

 

でも、それは長くは続かなかった。

なぜかというと、美容垢巡りを通して得られるものが「美に対するモチベーション」から「モヤッとした反発感」に変わってしまったからだ。

美容垢の多くに共通する価値観に、わたしはどうしてもなじむことができなかった。

  • 女に生まれたからにはかわいくなければならない
  • かわいい・きれいを追求しないこと=女を捨てている
  • 女の悩みはかわいいが大半解決してくれる

……みたいなやつだ。

そりゃあ、わたしだってかわいくてきれいなものは大好きだ。

かわいいは正義、きれいは力。

それは全然否定しないし、世の中にはそういう人が多いことだって分かっている。

自分のこととして意志をもって「かわいい」を追求することだって全く以って素晴らしいことだというのは前述したとおり。

もっと自分のことを好きになるために、理想の形に向かって努力するというのはとっても素敵なことだ。

 

しかし、それを他人にも要求するとなると話は違ってくる。

特に、その理由が「女だから」と言われるともう納得できない、それどころか拒否感・反発感まで覚えてしまうのだ。

なぜかわいい・きれいを女性の義務として課そうとするのだろう。

 

女性だからみんなかわいい・きれいであるべきというのは、どうにも女性を「外見だけの生き物」として見ているような気がして納得がいかない。

かわいいやきれいがコアバリューの女性が存在する一方で、それ以外のものに価値を置いた女性だっていてもいいと思うし、実際そういう女性もたくさん存在する。

かわいいは正義できれいは力だけど、「勉強ができる」だって「運動神経が良い」だってまったく並列の価値だ。

そこを無視して「かわいくなきゃ女としての価値がない」みたいなことを、他ならぬ女性自身が言うのがなんだか悲しいなあと思うのである。

あと、別に男がかわいくてきれいだっていいと思うし、わたしは超弩級の面食いなので男女問わずかわいくてきれいな人が増えたら天国だ。

 

かわいいもきれいも、女性だけのものじゃない。

人類に等しく与えられた権利だ。

 

あと最後の「女性の悩みの大半はかわいいが解決してくれる」というのは「んなわけあるか女の悩みナメんじゃねえぞ」と思わず口が悪くなってしまうレベルの話だと思う。

何かにつけて男とか女とか、性別で区切る風習をそろそろどうにかした方がいいんじゃないか。

少なくとも能力的な部分において、わたしには男性と女性の間に大きな差があるとは思えない。

あるのは生物的・物理的な差と、社会通念として出来上がった「男らしさ」「女らしさ」の壁だけだと思う。

 

……と、なんか美容の話からだいぶ逸れてしまった感じがするが、美容垢を巡っているうちにこういった鬱憤が積もっていき、そのうち巡ることそのものをやめてしまった。

今はモチベーションを保つために、日々贔屓の写真を見て初日までの日数をカウントダウンしている。

いよいよ初日の幕が開ける。入りには何を着ていこうかな。