踊りませんか。

きれいなもの至上主義

退団公演日記 4/3〜4/5

わたくしごとだが(ブログも旧Twitter現Xもわたくしごとでしかないのだが)退団公演が終わったら職場を変えることになった。タイミングを合わせたわけではなく本当にたまたま話が来たから乗っかっただけなのだが、新卒から満15年もいた職場(わたしは贔屓と社会人同期なのである)を去るというのは思いの外骨が折れることであった。ありがたいことではあるがめちゃくちゃ引き留めに遭うし、そのための面談インビが飛んでくる度に胃がキュッとなるし。やめると決めることはできるが伝える段になって寂しさに襲われること、他の場所で自分がやっていけるのかという不安、新しい挑戦への期待感、などなどいきなり退団という事象への解像度が上がり、妙な巡り合わせだなあと感じたりもする。一番実感したのはやめると決めてはいても目の前の仕事はそれはそれで普通にいつも通りやれるんだなということで、「退団公演だからといっていつもと変わらない」というのは心からその通りなんだなと思った。時期が近くなってきたらまた違うのだろうか。

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現実の仕事と今後の話とゼルダ姫付き剣士としての仕事との合間に公演についても反芻している。ユリウスのいいところは下心が全然ない、あるいは感じさせないところだと思った。アデーラに縋りつかれたときに肩を抱いてやる腕にシンパシーと連帯が強く感じられるところがいい。「美しくなった」はど直球で口説いてくるじゃん……とは思ったもののあれも思ったことを言っただけという感があり、「美しい」が風景に対するそれに近いというか、アデーラのことをあんまり "女" や "恋愛対象" として扱っていないというか、全体的に「男と女」ではなく「同じものを持った人間と人間」であるから気持ちいいのかもしれない。「あなたと出会って本当に楽になりました」というアデーラの台詞が二人の関係の最大の特徴だと思う。宝塚で描かれる男女はわりと緊張関係にあることが多いと思うのだけど、こういう関係性が描かれるのはすごくいいなと思った。トップコンビの色にも合っていると思う。